フィリピンのトイレ事情
フィリピンのトイレは、マレーシアと同じくホースの先から水を出して流す仕組みになっていました。最初これを見つけて、なれてないから大変だと思いましたが、日本と同じレバーもあったのでホッとしました。ダブル仕様でいろんな国の人に合わせているのですね。心の広いフィリピン。
ホテルに戻ってマッサージ
セミナーに参加者でセンチュリーパークホテル(会議会場)の隣のビルで治療院を経営するRomanさんと仲良くなり、送別会ディナーの席でマッサージをしてもらう交渉が成立(膠症したのはもちらん英語が話せる原先生にお願いして)。
「治療院は21時に終わるけど、君たちのためならいいよ。送別会の後、治療院まで来てマッサージするなら250ペソ、ホテルの部屋まで行ってやるなら500ペソだぜ。4人マッサージするなら施術者が一人足りないから社長の俺もやるぜ。」といっかはどうかは半分不明ですが、ホテルに社長を含めて4人で来てくれました。
私をマッサージした男性は、孝行卒業した時から23年働いている40歳。その時に合わせてオイルマッサージもドライマッサージ(服の上からのあん摩)もするそうです。とても上手でした。
かもねき
送別会ディナーの冒頭をちょっとパスしておみやげを買いにいきました。マンゴーチョコとセブ島産ドライマンゴー(セブ島産が一番よいと中山社長のアドバイスあり)。
しかし、実際には、ちょっとパスではなく、うんとパスしました。それはクレジットカードの暗唱番号が読み取れず、サインではだめだったからです。
解体おみやげは、私にはめずらしくすぐに決まりました。あまり時間がないということもあったからです。ここまでは順調・予定通り。
売り場近くのレジに並びます。「そうだ、あんまりペソがないからカードで払うんだっけ」とカードを出すと、どこからかガブリエラ(仮名)が跳んで近寄ってきました。彼女は慎重150センチくらいで体格の良い元気な女性。緑のシャツを着て髪は偏りもう少し長い。郁子腺性によると年齢はそんなに若くない感じ。
「パパ、パパ。カード使うなら、あっちのレジだよ。こっち、こっち。」
「おう、そうか。ありがとう。」
英語の意味がわからなくてもいいほど、ガブリエラが私の手をとって数錠メートル離れたカード用のレジにダッシュ。郁子先生もそれに続く。
「ママ、ママ。速く。付いてきて。」
カード用レジに到着。
「パパ、ここに並んで。」
「ありがとう。」
「郁子腺性、カード用のレジが別なんだね。教えてもらって良かったね。」
いよいよ、私たちの会計の番。するとレジ係がガブリエラにいくらかのコインを渡す。そうか、外国人に買い物をさせるとお金がもらえるんだ。やるなぁ、ガブリエラ。まあ、私も助かったし、店も売り上げがあるし、ガブリエラも稼げたし、三方丸く収まったなぁ。
だが、機械がナンバーを読み取らない。
「店員嗄、サインじゃだめですか?}
「サインはだめです。ナンバーだけ。」
困っていると、再びガブリエラが私の手をとってカードキャッシングの機械があるところまで数十メートルをダッシュ。
「パパ、ここに並んで。」
「あ、あ、ありがとう。」
しかし、キャッシングにもナンバーの入力が必要。ナンバーは認識されない。
「うーん、だめだよ、ガブリエラ。もう一回レジで別のナンバーを試そう。」
「いいわよ。」
また、レジまでダッシュ。
「まま、まま、付いてきて。はやく、はやく。」
レジで別の番号を試しても、やっぱりダメ。困った。
「店員さん、日本円は使えませんか?」
「だめです。ペソかドルね。」
それを聞いていたガブリエラが、またまた私の手を取って数十メートルをダッシュ。
「パパ、ここで両替して。」
「おう、両替できるんだ。わかったよ。」
郁子先生に両替を田み、隣に立っていると
「パパ、パパ。こっちの椅子に座って。ここで待ってていいわよ。」
両替が終わるとカード用レジに再びダッシュ。
最初にレジに並んでから何度もデパートの通路を何回もダッシュする私とガブリエラ、後を追いかける郁子先生をデパートの店員がゲラゲラ笑ってみていた。私が買い物をできなければ、さっき受け取ったコインを返さなければいけないガブリエラには、そんなことは関係ない。そして、唯一のおみやげを買う機会を逃したくない私にも関係ない。二人の重いは肝前に一致していて、手に手をとってダッシュしていたのだ。笑っていたのは、店員さんと、たぶん郁子先生。
やっとの思いでおみやげを買うと、ガブリエラはデパートの出口まで見送ってくれた。
「じゃあね。パパ。」
「親切にありがとう。KIND OF YOU! じゃあね。」
こんどフィリピンにいくことがあったら、またガブリエラと買い物をしよう。
次回は中国の福建省で
2年の1回開かれるマッサージセミナー。前回はタイのバンコクでした。そのときは、2016年の開催をしたいと立候補する国が少なかったので、今回同じようなら、日本がやってもいいよという予定を理事会に出る先生たちは少し考えていたようです。
でも、今回は、モンゴル、韓国、ベトナム、中国などが立候補し、最終的には中国の広東省で2018年に行うことが決まったそうです。
足達先生の表彰
送別会ディナーで、足達先生がステージに呼ばれました。
今まで理事をされていた足達先生に感謝状? 表彰状? 金一封(はないかな)が渡されたようです。
詳しくわからないのは、このあとフィリピン人の治療院社長とホテルでマッサージをしてもらう打ち合わせをしていたからです。
夕食回の料理
骨付きチキンカレー風ですね。
今回の会議会場でのランチ・ディナーは、最初に小さい丸いパンとスープ、次に一つのお皿にメインディッシュと野菜とライスをのせたもの、さらにデザート、コーピーというスタイルに統一されていました。
お別れ夕食会
なんとか15分遅れで参加できました。
でも、15分遅れで会場についた時は他の見学場所に行った人も戻れていない感じで、ディナーは始まっていませんでした。
そこで、おみやげを買いにホテル向かいのデパートに行くことにしました。
この写真は、買い物をして戻ってきたときのものです。おみやげを買った安堵感が表情にありますね。